食健三昧 - ノンフィクションライターの百瀬直也が「食」と「健康」を探求するブログ

ノンフィクションライターの百瀬直也がメディアタブーに挑んで食の安全性など「食」と「健康」を探求するブログ

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【霊性】食べ物が心をつくる~聖者の教えに耳を傾ける

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「食べ物が心をつくる」ということについて、どんなに書いても、なかなかわかってくれる人は少ないようだ。
家族にさえ理解してもらえないという辛さ。
私の考えることは、あまりにも時代を先行しすぎているのだろうか。
それとも、間違っているのだろうか。
間違っているとわかったときには…謝ります。^^;


私が考え、書いていることは、常に直観・経験・理論のバランスを考慮しているつもりだ。
自分の信じることがすべて正しいなんて思ってはいないが、長年にわたって培ってきた体験から、これは確かだと思えることもある。


私の師は「体にひっついた心」というような表現をされていて、心が身体の状態にどれだけ左右されるかということについても十分にご存知なのだろうが。
我が家の食生活についていえば、「このままでは自分も子供も、人生がだいなしになってしまう」という危機感をもっている。


私自身、非常にハイパーアクティブな子供だったこともあって、あの頃に十分な知識をもっていたらと、非常に残念に思う。
(小学生が砂糖病や低血糖症についてなんて知っているわけはないのだが)。
そして10代の後半から、そのような体質を改善するために、東洋医学やヨガや栄養学などを含めた「心と体」についての全体的知識の取得をめざしてきた。


そういう努力によって、自分自身の身体的状態を改善できるようになった。
それが、この数年間で「昔の自分」に戻りつつあることに気づいている。
精神的にも不安定になり、平静な心の状態を、なかなかもてないでいる。
自分の子供が自分と同じような人生を歩まなければならないと思うと、とても悲しくなってくる。


いま思い返すと、自分の子供時代、青春時代は、いろんな意味で滅茶苦茶だった。
その滅茶苦茶になっていた要素の多くが、ハイパーアクティブに起因するものだと、いまではわかっている。


以前に、あるカミンチュに初めて判示を受けたときに、若い頃のことについて「それは病気ではないのよ」と言われたとき、その意味するところのすべてを悟って、涙が出そうになった。
これもひとつの「学び」だったのだろう。


霊性の探求とか何とかいう前に、「健全な心」を作り出すための健全な食生活をめざすことが、誰にとっても重要なのだ。
残念なことに、現代の最新の自然科学をもってしても、「心と体の関係」については、わかっていることが少なすぎる。
なので、医師や看護師がそのような知識をもっていなくても仕方ない面がある。
要は、もっと根本的・構造的な問題が、医学や栄養学などを含めた地球上の自然科学にあるということだ。
ありきたりの言葉でいえば、医学のパラダイムシフトが必要なのだと思う。


何度も書いているように、自分が不健康になるのならばまだいいが(良くはないか)、未来がある自分の子供たちの体を蝕むものを食べさせたりするのは、「知らなかった」では済まされないこともあるだろう。
子供というのは親の所有物でもなんでもなく、たんに神様から預かった魂だということだ。


少なくとも、このブログを読みに来る方々には、私が書くことを鵜呑みにすることを望んでいるのではなく、また頭から否定するのでもなく、これをきっかけに真実への探求をされることを望んでいます。

聖者の言葉に耳を傾ける

自分自身の感覚が十分にセンシティブでないために、「食べ物が体をつくる」という概念を体感的に理解できないのは、それはそれで仕方ないかもしれない。
だが、そういう場合でも、曲がりなりにもスピリチュアルな宇宙観をもって生きている人ならば、聖者の言葉に耳を傾ける価値があるのでは?


…と思って、自分が作った『賢者の言葉』のページを読み返してみた。
すると、慈愛の聖母アマチは、やっぱり言ってくれていた。

過度に塩けが強かったり、甘かったり、辛かったり、または、酸っぱかったりする食物は避けたほうがよいでしょう。心の性質は、私たちが食する食物の、微細な精によって決まります。
−−マーター・アムリタ・ナンダマイー(アマチ)


ここでアンマは、わたしたちが食べるものによって、心の働きが左右されるということを言明している。
このことは、現代の科学がまだまだたどり着けないでいる『宇宙の叡智』の所産といっても良いかもしれない。

食べ物を粗末にしないこと

それから、心と食の問題に関係して、いままで書かずにいた重要なことを、ここに書いておく。
それは、「自分が真の意味での健康を得たいならば、食べ物を粗末にしないことが重要である」とうこと。


これについては、どこの聖者が言っているからということではなく、私自身がそう思っているということであり、またそれは、自分の経験から導き出したことだ。
この人生で、いろんな失敗をしているし、また過ちも多く犯してきただろうが、上記のことは、誰に言われたのでもなく守り通してきた。
そして、私がいまままでの半生で重病をせず、比較的健康に恵まれてきたのも、その信念のおかげでもあるだろうと思っている。


もっとも、こういうことは一度や二度の人生ではなかなか身につかないことでもあるかもしれないが。
大切なことは、いまからでも思い直して、「始める」ということだろう。


この点について、たとえば一家の主婦としてできることは何だろう?
それは、まず何よりも、まだ食べられる食物を、「自分たちの都合で」捨てたりしないということ。
「残ったから仕方がない」というのではなくて、残さないように適量の食事をつくるのが主婦の知恵だろう。
こんなこと、男の私になんか言われたくないと思うかもしれないが…。


動物や植物は、人間に食べられるために犠牲になってくれている。
スピリチュアルな生活を送る人間としては、食事の前に手を合わせて、そういう存在たちに感謝の念を捧げることが大切だろう。


私自身は小食なのだが、必要以上の食事が出されることが多い。
その度に文句を言うのだが、「食べられなければ残せばいい」と言われる。
だが、その残したものは誰が片付けてくれるのか?
他の家族も満腹で食べられなければ、そして翌日まで保存できないものならば、それは捨てられてしまう運命にある。
だから、胃が丈夫ではないのに、無理して食べてしまう。


出されたものは、肉でも体に良くないとわかっているものでも、感謝して食べる。
その結果、いつも胃の調子が悪い。
だが、自分の体のことよりも、自分の主義主張よりも、食べ物を粗末にしてはいけないという想いがあるのだ。


このことについて、アマチは何と言っているだろう?
これも『賢者の言葉』に載せているものだ。

食べ物を腐らせたり、食べかけで捨てたりするたびに、社会は傷ついています。
−−マーター・アムリタ・ナンダマイー(アマチ)


わたしたちの体が傷つくだけでなく、社会全体が傷つくというのだ。
社会は傷ついているが、気づいてはいない。
だから、スピリチュアル云々を言う前に、もっとやらなければならないことが、われわれの前には控えているだろう。


「精妙な心は精妙な食物によってつくられる。」
そのことに、もっと多くの人々が気づいてほしいものだと切に願う。


聖母アマチの教え ―ヴェーダの叡智 精神世界

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